小江戸川越のいいもの・手土産・お取り寄せ通販

 

特集

川越唐桟とは

川越の伝統織物 川越唐桟とは

唐桟とは

唐桟(とうざん)とは、室町時代頃から日本にもたらされた、紺地に朱、灰、青、茶などの縦縞が入っている織物のことです。

特徴は、細い綿糸を2本づつ引きそろえた双子糸で平織することで、木綿なのに絹の様な風合いをもってること。
また、つくるのにも大変手間と時間のかかるものだったので、唐桟は美しくそして高価なものでした。それ故、庶民の手に届くものではありませんでした。

唐桟という名前は、インドの西海岸にあるの港の名前「セント・トーマス」からきています。「セント・トーマス」がなまり「サントメ」と呼ばれ、その港から唐渡りした織物なので「唐桟留(からさんとめ)」や「唐桟」と呼ばれました。
縞の着物を着た女性が描かれた浮世絵 / 歌川国芳

川越唐桟とは

江戸時代、唐桟は「粋」な縦縞として人気を博しましたが、庶民・町人は高価で手がだせませんでした。しかし、江戸時代後期になると次第に庶民のものになってきます。

それは各地で唐桟を真似た「唐桟」をつくるようになったからです。特に小江戸川越ではそれが活発に行われていました。

そして、1854年の安政の開国とともに唐桟の歴史が急激に変化します。
開港したことにより、今までどうしても紡げなかった極めて細い木綿糸が欧米諸国から安く輸入できることになったのです。

それに注目した川越商人の「中島久平(なかじまきゅうへい)」は、外国産の安く良質な木綿糸を仕入れ、川越で「唐桟」を織ることを決めます。

もともと川越は絹織物の産地。
「天下一統、夏袴は川越平なり」ともいわれた「川越平」を織る技術があった川越だけに、唐桟もすばらしい品質のものができあがります。

安価で品質の良い川越産の唐桟は、「川越唐桟」として世に知れわたり「川唐」と呼ばれもてはやされました。
川越唐桟の生地
様々な縞模様の川越唐桟

川越唐桟の衰退と復活

幕末から手機によって織られていた川越唐桟。
機械化しなかったことで、明治26年の川越大火以降に衰えだし、大正時代までで終わってしまいました。

しかし昭和50年代、長く途絶えていた「川越唐桟」は、入間市の西村織物が機械生産しはじめることにより復活します。
そして現在は、川越市内の呉服屋さんで川越唐桟を購入することがで、反物以外に様々な製品に形をかえています。
川越唐桟くびまき川越唐桟ピアス
川越唐桟をつかった製品


参考資料:
「埼玉史談 第26巻第1号 川越絹平と川越唐桟」 埼玉郷土文化会
「埼玉史談 第26巻第2号 続・川越絹平と川越唐桟」 埼玉郷土文化会

川越唐桟の取扱店MAP

川越唐桟の商品をみる

ページトップへ